パキスタン・レポート Mapping the Tibetan World Mr & Mrs Sushi
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イスラマバード1959年にパキスタンの首都に選定、1961年に開発が始まったというイスラマバードは退屈な街だ。新しいから歴史的な名所はないし、交易で栄えているというわけでもないので人々の息吹が感じられない。生活臭が乏しい。そしてなにより、イスラム教である。 「世界で一番退屈な街だという人もいますよね。ブラジリア(ブラジルの首都)もこんなかなあ・・・」という私に、ユニセフのアフガニスタン・オフィス代表であるDr. ラローシュは笑いながら答えた。
「いや違うね。あっちでは少なくても踊れるからね」 イスラマバードには飲み屋もディスコもない。寂しい街である。
反米デモ政府機関と企業の建物がポツンポツンと建つすきまだらけの「計画都市」イスラマバード。そんな無機質な空間のどこからか人々が集まってきた。男性はほとんどがワイシャツにズボンというこざっぱりとした服装である。パキスタンの民族衣装であるシャロワール・カミース姿を探すのに苦労した。聞けば、弁護士、技術者、学生だという。 驚いたのは、女性の参加者が多いことだ。それも、ブルカ(女性の姿を隠すベール)どころかスカーフさえしていないモダン・ムスリマ(現代的な女性イスラム教徒)がいる。
チャンスである。パキスタンの女性をカメラに収められることなんてめったにない。誰も考えることは同じだ。日本や欧米のメディアはかわるがわるパキスタン美人を捕まえてインタビューする。彼女たちは、カメラにものおじせず堂々とした英語で反米の主張を繰り返す。 参加者の数はせいぜい200人。一方、報道関係者は100人近く集まったのではないだろうか。拍子抜けするほど平穏なイスラマバードで、デモは貴重なネタである。飛びつくのは無理もない。 デモは、規模が小さいこともあってか統制されている。整然とした行進からは過激さなんて感じられない。警官の配備も、メディアの集まりもすべては計画通 りなのだろう。穏やかな天候もあってか、どことなくピクニックの雰囲気さえ漂う。 私の横で、携帯電話を使い「緊迫した」状況を中継するスペインのレポーターの声が妙に乾いて聞こえた。
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